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THE CRAZY ONES

8-1
Yves Saint-Laurent
イヴ・サン=ローラン
Yves saint laurent kord harajuku

フランス領出身のファッションデザイナー
【イヴ・サン=ローラン】
はフランスが誇る世界的ブランドとなっている...

ココ・シャネル、クリスチャン・ディオール、
ポール・ポワレらとともに
20世紀のファッション業界をリードした...
2002年の引退まで、トップデザイナーとして
40年にわたり活躍し、
【モードの帝王】と呼ばれた...

1953年17歳の時にパリの
シャンブル・サンディカル・
ド・ラ・オート・クチュール
(Chambre Syndicale de la Haute Couture)
ファッションデザイン学校に入学...
IWS主催のデザインコンクールのドレス部門において
カクテルドレスを発表し最優秀賞を受賞...
そのカクテルドレスの縫製は
ユーベル・ド・ジバンシィで、
またその時の毛皮部門の受賞者は
シャネルのデザイナーである
カール・ラガーフェルドであった...
この時の審査員であったVOGUEのディレクター、
ミッシェル・デブリュノフは、
無名の若い少年のポートフォリオを初めて見た時、
新作として発表している友人の
クリスチャン・ディオールと同じ
A-ラインの線を描くイヴに驚き、
すぐディオールに紹介した...
そして、独創的かつ想像力に富んだ彼のデザインは、
ディオールに非常に強い感銘を与えることになる...

1957年10月、ディオールは自身のスタッフに
「ここにある30のデザインはイヴの仕事に基づく
私の最新のデザインであります...
彼は特別な才能です。私は彼に認められたい」
と言い、
次のコレクションでイヴを連れ出す
と言い出したという...

それが同年のディオールの死によって
現実のものとなり、
イヴは21歳でディオールブランドを財政的な破滅から救うために
主任デザイナーとなり、大きな力で仕事を始める...

生前、親交の深かったナオミ・キャンベルは
「彼はファッションの王様だった」と語っている...
また、イヴが亡くなった際に
「私が彼に
『イヴ、私は仏版ヴォーグ誌の表紙になれないわ。
黒人の女の子を起用しないみたいなの』
って言ったら、
彼は『僕にまかせておいて』って答えてくれたの」
というエピソードを明かしている...
実際に後日、ナオミは黒人モデルとして
初めて仏版ヴォーグ誌の表紙を飾った...

このことから、
「彼はプレタポルテを生みだし、
初めてランウェイに有色人種を起用した...
私のキャリアにおいて、極めて重要な人物よ。
初期の仕事のひとつを与えてくれた人でもあるの」
と感謝の言葉を述べている...

ナオミ以外にも初期の黒人スーパーモデル、
ムーニアはフランスのラジオ局のインタビューに対し
「彼のおかげで、肌の色に対する誇りをもつことができた」
とコメント...
アフリカ出身のダイヤ・グェイェも
イヴの協力によって
国際的なキャリアをスタートすることのできた
モデルの1人であり、
「彼は天才だった。世界全体にとって大きな損失よ...
兄というよりも、父のようだったわ」と死を悼んだ...

日本人では1990年代に川原亜矢子を起用、
パリ・コレクション以外にも
ワールドカップのショーなどに登場させた...
ローランの人生を描いたドキュメンタリー映画
『イヴ・サンローラン』にも川原は登場している...